お問い合わせ窓口

お客様紹介:ヒトバイオモニタリングで化学物質曝露を可視化――消防士の健康を守る分析化学研究――名古屋大学大学院医学系研究科 上山 純 教授 (2026/7/27)

2026年7月27日

私たちは食品、生活環境、職場環境を通じて、さまざまな化学物質に曝露されています。名古屋大学大学院医学系研究科の上山 純教授は、尿や血液などの生体試料中に含まれる化学物質やその代謝物を高感度に測定する「ヒトバイオモニタリング」を基盤として、環境衛生、食品安全、労働衛生に関わる研究を進めています。

上山教授の研究室では、トリプル四重極LC/MS(液体クロマトグラフ質量分析計)やトリプル四重極GC/MS(ガスクロマトグラフ質量分析計)を用いた分析法を開発・応用し、農薬、カビ毒、腸内環境関連代謝物など、幅広い化学物質への曝露評価に取り組んできました。現在はその知見を、消防士の有害化学物質曝露に関する研究へと展開しています。 火災現場では、多環芳香族炭化水素(PAH)や揮発性有機化合物(VOC)など、多様な化学物質への曝露が想定されます。

上山教授が培ってきたヒトバイオモニタリング研究と、さらに消防士の健康を守るための新たな研究展開について紹介します。

 

名古屋大学大学院医学系研究科総合保健学専攻 上山 純 教授(写真右)と、研究室の皆さん

 

 

ヒトバイオモニタリングを基盤とする研究室

上山教授の研究室では、「ヒトがどのような化学物質を、どの程度体内に取り込んでいるのか」を明らかにするヒトバイオモニタリング研究に取り組んでいます。ヒトバイオモニタリングとは、尿や血液などの生体試料中に含まれる化学物質やその代謝物を測定し、体内に取り込まれた化学物質量を評価する手法です。

これまで研究室では、有機リン系殺虫剤、ピレスロイド系殺虫剤、ネオニコチノイド系殺虫剤、カビ毒、腸内環境に関わる代謝物など、幅広い化学物質を対象に分析法を開発・応用してきました。食品、生活環境、職場環境に由来する化学物質曝露を、ヒトの体内負荷として評価できる点が、この研究の大きな特徴です。

上山教授が掲げる研究室のテーマは、「わけて、かんどよく、たくさん、正しくはかる。」です。測定対象を適切に分離し、高感度に、多検体を、正確に測定する。その技術を基盤として、環境衛生、食品安全、労働衛生に関わる研究を進めています。

 

消防士の健康を守るための新たな研究

現在、上山教授が力を入れているのが、消防士の有害化学物質曝露に関する研究です。消防士は、火災現場において燃焼生成物、粒子状物質、建材や家具に由来する化学物質、装備や消火資材に含まれる化学物質など、多様な有害因子に曝露される可能性があります。

特に、多環芳香族炭化水素(PAH)、揮発性有機化合物(VOC)、一酸化炭素、アルデヒド類、金属成分、ペルフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物(PFAS) などは、健康影響を考えるうえで重要な対象物質です。国際がん研究機関(IARC)は、消防士の職業曝露を「ヒトに対して発がん性がある」Group 1に分類しており、消防士の健康リスクに対する国際的な関心はますます高まっています。

一方で、日本の消防職員を対象とした実態データはまだ限られています。上山教授の研究は、ヒトバイオモニタリング等を用いて、日本の消防職員における化学物質曝露の実態を明らかにし、将来的な曝露低減策やガイドライン作成に役立つ科学的根拠を得ることを目指しています。

 

実火災後の曝露を測る研究デザイン

この研究の特徴は、訓練や模擬火災だけでなく、実際の火災活動後の消防職員を対象に、生体試料と皮膚拭き取り試料を収集している点です。火災現場では、吸入曝露、経皮曝露、汚染装備や車両を介した二次曝露、さらに日常生活由来の背景曝露が重なり合います。そのため、単一の環境測定だけでは、曝露の全体像を把握することが困難です。

研究は、定期健康診断を利用した「健診調査」と、実際の消火活動後の曝露を調べる「実地調査」から構成されます。健診調査では尿検体を用いて、日常業務時のベースラインとなるPAH曝露レベルを評価します。実地調査では、消火活動直後、翌日、翌々日の尿を採取し、尿中PAH代謝物の変化を追跡します。さらに、活動直後には皮膚拭き取りワイプを用いて、皮膚表面に付着したPAHを測定します。

プロジェクト開始から1年で、健診調査では約300名、実地調査では約100名分の検体を収集し、その一部を分析して曝露実態に関する初期的な知見が得られつつあります。こうしたデータを、活動内容や装備使用状況と組み合わせることで、曝露を高める要因や、優先的に低減すべき曝露経路を明らかにしていきます。

微量曝露を可視化する分析基盤

消防士の化学物質曝露研究を支えているのが、トリプル四重極LC/MSやトリプル四重極GC/MSを中心とした高感度分析技術です。PAHやその代謝物は、生体試料中で低濃度で存在することが多く(ng/Lからµg/Lレベル)、正確な評価には高い感度、選択性、再現性を備えた分析系が必要です。

この研究では、尿中PAH代謝物の測定に「Agilent 1290 Infinity II Bio LCシステム」と「Ultivo トリプル四重極LC/MS」を組み合わせたLC/MSシステムが活用されています。また、研究室ではAgilent 7000 トリプル四重極GC/MSも使用されており、クロマトグラフおよび質量分析計はアジレント製で統一されています。

上山教授がアジレント製品を導入するきっかけとなったのは、2011年に初めて大型の研究予算を獲得し、本格的に分析機器の導入を検討した時のことでした。当時、複数のメーカーを比較する中で、分析の先輩研究者に相談したところ、「性能だけでなく、とにかく面倒を根気強く見てくれるメーカーを選ぶことが大切だ」と助言を受けたといいます。高感度分析では、装置を導入して終わりではなく、測定条件の立ち上げ、トラブル対応、日常的なメンテナンス、データの安定性確認、最新情報の共有まで、継続的な技術支援が研究の質を左右します。

研究室ではこれまでも農薬曝露マーカー、腸内環境に関わる短鎖脂肪酸やポリアミン、カビ毒であるオクラトキシンAなど、多様な化学物質を対象に分析法を構築してきました。安定して稼働する分析機器と、困ったときに相談できるサポート体制は、新しい社会課題に対応する研究を進めるうえで重要な基盤となっています。

 

「Agilent 1290 Infinity II Bio LCシステム」と「Ultivo トリプル四重極LC/MS」を組み合わせたLC/MSシステム

 

 

Agilent 7000 トリプル四重極GC/MSも利用。ラボ内のクロマトグラフと質量分析計はアジレント製で統一

 

 

短期間で測定法を構築し、実試料へ応用

消防士研究では、プロジェクト開始後の短期間で、複数の分析法を立ち上げ、実際の消防職員試料へ応用する必要がありました。上山教授は、「わずか半年程度で、PAH代謝物やVOCの測定法を立ち上げ、消防士の検体も実際に測定できた」と振り返っています。

この短期間での立ち上げを可能にした背景には、共同研究者による強力なサポートがありました。消防士研究は、上山研究室単独で進めているものではなく、労働衛生、環境衛生、分析化学、消防現場に精通した研究者・消防関係者・消防装備に関わる企業団体との連携によって成り立っています。さらに、共同研究者もアジレント製の分析機器を使用していたため、既存の分析条件や技術的知見を共有しやすく、測定法の再現や応用を円滑に進めることができました。

加えて、アジレント・テクノロジーや販売店によるサポート体制も大きな支えとなりました。装置の使用方法や測定条件に関する相談に対して、研究者だけでなく、学生がカスタマーサービスに連絡した場合にも丁寧に対応してもらえました。こうした日常的な技術支援は、測定法の立ち上げやトラブルシューティングの速度を高めるうえで重要な役割を果たしています。

上山研究室では、これまでのヒトバイオモニタリング研究で培ったメソッド開発力を基盤に、PAH代謝物、VOC、皮膚ワイプ中PAHなどの測定系を短期間で整備しました。安定した分析機器、共同研究者との技術共有、そして手厚いサポート体制が組み合わさることで、社会的要請の高い研究課題に迅速に対応できる研究基盤が形成されています。

研究成果を予防策・ガイドラインへつなげる

上山教授が目指しているのは、曝露を測定して終わる研究ではありません。得られたデータを、曝露経路の推定、リスク評価、曝露低減策の立案、さらには現場で実行可能な予防策へつなげることを重視しています。

消防士の曝露低減には、吸入曝露、経皮曝露、二次曝露を含めた多層的な対策が必要です。たとえば、吸入曝露では自給式呼吸器の適切な使用が基本となりますが、火勢鎮圧後のオーバーホール作業などでは、呼吸防護の継続が課題となる場合があります。また、経皮曝露では、防護装備の境界部となる頸部、顔面、手首などの汚染や、活動後の速やかな除染が重要になります。

今後は、防火服のPAH汚染マッピング、除染・洗浄効果の把握、汗を介した化学物質の移行などを検討し、どの部位が汚染されやすいのか、どこまで除染すべきかを明らかにしていく予定です。これらの知見は、装備管理、洗浄手順、教育・訓練、さらには国内外の規格やガイドラインに反映される可能性を持っています。

分析化学の面白さと学生へのメッセージ

最後に、上山教授に、クロマトグラフや質量分析計を用いた分析の魅力を尋ねました。上山教授は楽しそうにこう答えてくださいました。

「測定対象によって、メソッドは無限に考えられます。既報の方法があっても、それを自分たちのラボ環境で再現し、研究目的に合う形に発展させるには、分析化学者としての工夫が必要です。論文には記載されないような些細な条件が、分析性能を大きく左右することもあります。それを見つけた時はうれしいですね。自分のオリジナリティを出しやすいところに面白さを感じますし、研究者仲間に自慢したくなります。そして、アカデミックな関心で終わるのではなく、その成果で、最終的に人に喜んでもらえるところにやりがいを感じます。」

上山研究室では、外部精度管理にも参加し、分析技術と測定値の信頼性の向上に取り組んでいます。研究室の合言葉である「わけて、かんどよく、たくさん、正しくはかる。」の先には、化学物質曝露の実態を明らかにし、人の健康を守るという目的があります。分析化学を基盤に、環境衛生、労働衛生、予防医学をつなぐ上山研究室の取り組みは、学生や若手研究者が社会課題に向き合う貴重な機会にもなっています。今後、これらの研究がさらに発展し、社会に役立つ知見として広がっていくことが期待されます。

 

外部精度管理に参加し、分析技術・信頼性の向上を常に意識している

 

 

本記事に掲載の製品はすべて試験研究用です。診断目的にご利用いただくことはできません。
(Not for use in diagnostic procedures.)

RA260625.781

 

関連情報

 

> News Hub日本版